こちら、「シンプルな暮らしは幸せ」実験室

10年に及ぶ断捨離はおわった。 ミニマリストに憧れつつ、目指してはいません。

「どら焼きがマカロンになる魔法」を買った。この場合、断捨離すべきものは・・・?

昨日は、少しだけ高価な買い物をしました。
ある、「魔法」を買ったのです。
魔法、買ったことありますか?^^
(怪しい話ではありません。・・・と書くと、よけい怪しいのはなんでだろう。笑)

買ったのは、踊りのお稽古に必要な「ある技術」を習得するためのトレーニング方法、です。

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(美しいこの人は、世界的なプリンシパルダンサー、マリーヤ・アレクサンドロワです)

踊りのお稽古で、どうしても苦手な動きがあり、運動時の動作などを分析しているプロのセッションを受けてきました。

踊りにおいて、どうしてもやりにくい動きがあるというのは、それについて「身体の使い方を間違えている」可能性が高いです。やり方さえ変えてあげれば、解決することもあります。

ただ、「身体の使い方」というのもさまざまで、例えば、身体の重心の置き方や歩き癖によって、ある部分のじん帯や筋肉がロックされているからで出来ない動きがあった場合、長年にわたり脳が覚え込んだ「使い方」を治すというのは簡単ではありません。

あまり詳しい話は割愛。わかりやすいたとえ話をしてみます。


どら焼きと、マカロンは違うお菓子です。
けれども、お菓子について詳しくない人からすると、どちらもざっくりと「甘いものがはさまったお菓子」となりますが、
食べたことがある人にとっては「ぜんぜん違うお菓子」であり、
お菓子職人からすると「成り立ちも、工程も、温度管理も、仕上がりも全く別物のお菓子」です。

もしも、どら焼きを「甘いのがはさまった、だいたいマカロンと同じお菓子」と認識していた場合、正しいマカロンについて知り、脳内の情報を書き換える必要があるんだけど、本当のマカロンがどうしても手に入らない環境である場合、

  • カロンとはどういう味なのか。
  • どういう歯触りなのか。
  • どのくらい甘いのか。
  • 繊細なお菓子というのはどういう意味合いにおいてなのか。

について、想像しながら近づいていくしかありません。そして、すこしずつすこしずつ、脳内の情報を書き換えていくしかありません。とても難しく、下手をすると全く違う完成形を、これこそがマカロンだと思い込んでしまう危険性もあります。

そうならないために、脳内の情報をなるべく正しく書き換えるための技術にお金を払いました。

自分でも、数年前の私とは変わったな、と思います。
昔の私は、もっと頑固に、「自分の考えやアイディアで」乗り切ることをプライドみたいに思って、高い講習費を払ってある情報を手に入れることはあまりしませんでした。(レッスン代は、別として。これは基本料みたいなものだから。)

もちろん、高い情報が良い情報とは限りません。
そして、本当にビギナー時代は、自分のアイディアや考えで行うことで上達する場合もあるので、過去の私のやり方もまた一理ありです。
でも・・・

経験や技術こそが、形に残る一生もの。誰にも奪われない、捨てる必要もない、財産。

ただ、以前の私は、「形に残らないもの」にそんなにお金を払うなんて馬鹿げている!と言いながら、ゴミになってしまうような「物」にたくさんのお金を出していました。

形に残らないもの
いいえ、でも、それは違ったのです。自分が身を以て経験したことだけが、「形に残るもの」なのだとわかってきました。

踊りの技術は、習って、お稽古して、身体に入ったら一生ものです。たとえ、時間がかかったとしても、誰にも奪うことのできない、自分を形成するコアとなって生き続けます。

と、いうわけで、今私が断捨離しなきゃならないのは・・・


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もともとの、身体の「使い癖」。これを潔く捨ててしまわなくちゃ。人間とはなかなかに弱いもので、例えば「かかと重心」を「つま先重心」に治すっていうことでさえ、脳がなかなか「かかと重心」への執着心を捨てきれないものです。この執着心もゴミ箱行き!

今まで「これがマカロンだ」と思っていた「実は、どら焼き味」を、本当のマカロンの味に書き換えるのだ〜。

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