こちら、「シンプルな暮らしは幸せ」実験室

10年に及ぶ断捨離はおわった。 ミニマリストに憧れつつ、目指してはいません。

じゃあ、いくらまでなら良いのだ?

あっ。
きのう、道に一円玉が落ちていたのです。
誰にも拾われず、アスファルトにとけ込むように
ぺなぺなと、ひっそりと。

この一円玉を救済しなくては!
と思い、なにしろお金は友達だから、

madame-lovebird.hatenablog.com

(↑ 先日、この考えについて書いた記事です。)


しかし、拾えなかった・・・(泣)

何故拾えなかったのか。

  • すぐ後ろを歩いていた人に、お金をねこばばする人と思われたくなかった
  • もっと大きな単位の「お友達(お金)」を拾ったと思われたくなかった。
  • 駅へといそいでいたので、丁寧な所作で拾って上げることができないと判断した。


そんなつまらない理由で!
あの小さき友を見捨てて、駅へと急いだ私の小ささよ・・


後ろ髪をひかれる思いで、50メートルくらい歩いてもまだ
「引き返そうか・・。拾わなくちゃ。。。」と
後悔が尾をひきました。

大きな単位のお金であれば交番に届けるとしても、
1円であれば、交番の手を煩わせるより、
私が世の中に還元する!
という自信があったのだと思う。


ただ、そこで考えた。

もし自分だったら、お金を落としてしまった場合、
いくらまでだったら、
我が友達(お金のことね)の幸せを
他人の手にゆだねても良いと思えるのか。

1円、5円、10円、100円、500円
うん、
誰か良い人に気分よく使ってもらえるなら
喜んで拾って役立ててほしい。

千円、
まあ、ちょっと泣くけど、それでも納得できるかな。
美味しいランチでも・・・食べて下さい!

五千円、
モヤモヤする・・・。

一万円
だいぶ泣きそう。
悪い人に拾われてるんじゃないかと
夜眠れないかもしれない。

じゃあ、10万円だったら?100万円だったら?
笑えない。どころか、泣いてる場合でもないだろう。
血まなこだな・・・。
素直に「どこかで幸せになってね」とはとても思えない。

そんなことを考えながら電車に乗った。

100万円を笑って送り出せないなら、
あの1円玉を幸せにできると思ったのは
単なる錯覚・・・・・?

うーん!難しい問題だ!

それにしても一円玉というのは
いかにも「弱者」という風貌をしていて、頼りなくて、
道にほったらかしにしておくのは
やっぱり可哀想だなあと思った。


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